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バイトまで時間があったので、恵比寿にある東京都写真美術館へ。
前回の日記で行った美術館で写美のフライヤーをみて、見たい!!と思ったのが、『紫禁城写真展』。
私が大好きな映画『ラストエンペラー』で重要な役割を果たす紫禁城。
展示されていた写真も1900年頃に撮影されたものというから、まさに映画で題材にしていた時代とかぶる。歴史好きとしてだけでなく、映画ファンとしてもwktkしながら見に行きました。
1900年は清朝末期。ヨーロッパ諸国が進軍していったこともあり、もはや王朝の威厳はなくなりつつあった。*1
王朝の権威が衰退していたからこそ、当時一般の人間が入ることを許されなかった秘密の城にカメラを向けることが許されたのだと思うと、ちょっと切なくもある。
モノクロの写真って、とても不思議な気分になる。
まず、色を想像することが難しいから、ものすごく昔の記憶を見ているような気持ちになる。
でも、絵画とちがってリアリティがあるから、写真の中にある現在を、まるでタイムスリップでもしたみたいに、近くに感じることができる。
相対する2つの感覚が襲う、この感覚がすごく好き。
展示を見ていて印象的だったのは、草がぼーぼーにのびきったお城の石畳だったり、破れたまんまの障子だったり、白黒でもわかるくらい色のハゲた柱だったり、広そうな広間にぽつんと置かれた玉座だったり。
写真は何も語ってこないけど、その情景が、時代の終わりをただ黙々と写し出す。
ちょうど私のとなりで見ていた2人組の片割が中国の方だったらしく、城の荒廃っぷりにたいそう驚いていた。
現在の紫禁城はきれいに整備されていて、建物や色彩も隆盛期のように復元がなされているのだそう。*2
『ラストエンペラー』に出てくる紫禁城はきれいだけど、じゃああれはリアルではないんだな、と思ったりして。
でも、映画の中の紫禁城って、きれいなんだけど、寂しくて悲しい場所に見えるんだよな、それは溥儀の気持ちを写し出してるのかなって思ったりもして。
ひとりでひっそりとそんなことを考えながら、黙々と写し出された現実を、黙々と眺めていく。
ときどき建物と一緒に辮髪の男性が写っていたりして、それを見るのもとてもおもしろかった。
辮髪なんてさ、ラーメンマンくらいしかイメージがないのよ。だからとっても新鮮で、建物の写真を見てたからたまに人間も写ってたりするとまた妙にリアルで。
変な話かもしれないけど、高校生のとき宦官に興味をもったことがあって。
撮影をした際に逃げ遅れた宦官にいじわるされたっていうエピソードがパネルで語られていたりして、
「ここに写ってるのは宦官なのかな」なんて思いながらちょっと見入ってしまったりした。
写真の横には当時撮影した人が実際に記したコメントが書いてあった。
この間行ったパリの100年展で、風刺絵の話をしたけれど、
その絵の中に、中国の青磁器に執着するパリの貴族を皮肉った絵があった。
そのときの私は、「あー、アジアはやってたんだなー」「この人たち『なんてすてきなオリエンタル!』とか思ってたのかなー」なんてのんきなことを考えたのですが、
紫禁城の展示にあったコメントは実に冷静で、別に「アジア的で実にすばらしい」みたいなことは一言も書いてなかった。それもそのはず、撮影したのは日本人なのだから。
ヨーロッパが見るオリエンタルと、アジアが見るオリエンタルって、考えたら当たり前だけど、まったく逆なんだ。
きっと私があこがれるロンドンも、スペインも、パリも、向こうの人たちから見れば至極当たり前のこと。
私の日々の生活はきっとぜんぜん和風じゃなくって、アジア的でもなくって、だからオリエンタルな何かに触れたとき、「すごい!!」「なんて素敵なオリエンタル!!」なんて、無意識下で思っちゃってるんじゃないかなーと考えたら、なんだかぞくっとした。
1週間の内に同じ時代の違う土地のリアリティに触れたのは単なる偶然だったけど、なんだか考えるだけでぞくぞくしちゃって、すごくおもしろい。こういうの楽しい。