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昨日の夜、家でアメトーク観てたら、後輩くんから電話がかかってきて呼び出された。
失恋をしたそうで、朝まで付き合った。彼が泣くのを見たのは初めてでびっくりしたけど、それだけ好なんだ、それだけ本気なんだって思ったら、少し羨ましくもあった。
帰り際、
「matucoさんは相手の幸せを願えますか?」
と聞かれて、私は好きだった人の幸せを願えているだろうかと考えた。
相手の幸せを願える時って、自分も幸せな状態にあることが、前提なんじゃないかと思う。自分が不幸か平凡な状態で、果たして相手の幸せなんか願えるだろうか。それが出来たら神か仏だ。というか、相手の幸せを願えないと思っている時点で、自分はその相手に未練があるということにはならないだろうか。
相手の幸せを願えるようになった時、それは自分が相手以上に幸せだと自負できる時か、もはや相手に興味がなくなってしまった時のどちらかだろう。
「今は願えるよ」
口から出た言葉はまったくの嘘。
「俺はそんなに大人になれないっス」
彼の言葉に、私だってそうだよと心の中でつぶやく。