私の中高時代の話をします。
中学とか高校、特に女子校に通っていた方はわかる感覚だと思いますが、女の子なら誰にでも、『私とあの子はセット』みたいな子がいるものではないでしょうか。私とMはまさにその関係で、ちょうど中2〜高2という青春時代を共に過ごしてきました。彼女は私の友達の友達で、同じクラスになったことがきっかけで仲良くなりました。帰りの方向がほとんど一緒だったので一緒に帰るようになり、一緒に登下校するようになり、学校内でも常に一緒で、寄り道には必ず彼女が一緒にいて、他人目から見ても、私達は「親友」というくくりの中にいて、いわゆる『私とあの子はセット』関係だったと認識しています。

高校に上がった辺りから、彼女の性格が私の性格と合わないと感じ始めました。4年間一緒にいて、私達は『親友』にはなれなかったと思います。彼女の家はとてもバブリーで、私はそれについて、いけなかったし、彼女のワガママや、自分が注目されないと不機嫌になるところにも、若干の違和感を感じていました。高2の冬、私は思い切って別の友達に相談し、私は彼女のことを意識的に避けるようになっていました。電車の車両を変えました。ただ、それだけのことから、私達はどんどん疎遠になっていきました。もともと進路も違っていたし、高3に上がる頃には学内であって挨拶をする程度にまでなっていました。私にはじめての彼氏ができたとき、彼女は泣いていました。私は、もう仲のいい友達ではないけれど、喜んでくれるだろうか、と内心そう思っていました。しかし彼女は、「どうしてなの?」と言って泣きました。私に彼氏ができた、ということが、疎ましかったのです。この時、私は彼女とこれ以上仲良くなるのは止めようと思いました。私は、常に彼女の『下』であるという目で、彼女は私のことをずっと見てきたんだ、ということが、はっきりしました。それは、彼女に不満を持ち始めてからずっと感じていた事でした。結局、一緒にいても、普通の友達みたいに楽しいとか、嬉しいはあっても、幸せとか、そういう気持ちが興らないと思ったのです。中学生から高校生という時間を、私は流動的に過ごしてきました。気づくのが遅かった事を哀しく思いつつも、私は友達を1人失って、卒業しました。

さて、卒業して3年が経ちます。中高の6年間の中で、彼女は確実に私と楽しい時間を過ごしてくれていた事に、最近になってやっと気づくことができました。私がしたことは間違っていたのだろうか。思い出は美化します。あの時の厭な思いとかそんなものは全部、今は忘れてしまっています。私という人間は、なんて単細胞なんだろうと、つくづく思う;

彼女は学内でも有名な美女でした。昨日、級友から、彼女が大学のみすこんで優勝したという知らせを聞きました。今日ネットで彼女の名前を検索してみたところ、出るわ出るわ。久しぶりの再会は、ネット上に写った彼女の写真でした。あいかわらずの超美人で、同級生としてとても誇らしく思います。おめでとう!彼女も大学に入って、もう昔の彼女ではないはずです。みすこんで優勝したくらいだから、中身だって兼ね備えた女性になっているはず。いつかちゃんと再会して、お茶でも飲みながら昔の話が笑って話せるようになれたらいいなと、そんなことを思いました。